「老人の話は長い」と感じる感性の正体

老人の話は長い。
これは事実だ。

聞いていて疲れる。
これも事実で、若い人だけでなく、同じ高齢者でもそう思う。

これで、要点がズレているとか、オチがないとか、同じことが繰り返されたら、もう終わりだ。

誰もが、ギャオースと騒ぎだす。

なぜ、老人の話は長いのだろうか。
これは、一つに「時間感覚の違い」があるからだ。

その原因の一つが新陳代謝である。

時間に実体はない。
これは三次元の感覚にすぎない。

四次元界にゆけば、そこは、ほぼ無限の世界なので、「時間」という感覚はない。

それはさておき、人は、朝昼晩によって時間の感覚が異なる。

新陳代謝が活発でない「朝」は時間の過ぎるのが遅く感じられる。

ちなみに、青色は沈着冷静を感じさせる色なので、青い空間にいると時間の感覚が鈍くなる。

逆に、赤は興奮を促す血の色なので、DNAなどに格納された太古の感覚が、時間を早く感じさせる。

そうでないと、身に危険が及びかねない。

時間とは、そのような自分が感じる相対的なモノでしかない。

老人は、若い人に比べて新陳代謝が遅くなる。
これは、生物的なモノなので、克服は困難になる。

「昼」は肉体も活性化されているので、新陳代謝が良くなり、当然、時間が早く流れているように感じられる。

「夜」は疲れがでるので、時間の流れは遅く感じ、その分、まったりとしたふくよかな時を過ごせる。

当然、長話にも対応できる。

酔っぱらって脳が劣化状態になると、ウザい話をくどくど繰り返しても、失礼なことだとさえ思わなくなる。

「頭が悪い」ということは迷惑なことなのだ。

冷静なゴルゴ13でも、ウンザリしてしまう。

老人の長い話は、確かにウンザリだけど、代謝が遅いのは、食料を多く摂取できなくなり、動かなくなって、省エネになり、長生きできるという生物的戦略でもある。

若い人に多い、話の早さも軽薄感丸出しで、これはこれでウンザリさせられる。

タピるおわだし。それな。そま?芋やし。デブるし。あな。要はじおってこと。

ごく近年の話だけど、単語しか話せないアマゾンの部族が絶滅した。

アマゾンには、かつて百を超える部族がいた。

それらの部族でさえ、その滅びた部族の言語は理解できなかった。

彼らの言語はインスタグラムと同じだ。

風、鳥、火。
これだけの単語で、「風が強かった日に、鳥を弓矢で射て、火を起こして焼いて食べた」という風景が共有できる。

ある種のイメージ言語だ。
当然、センテンスがないから、文化文明を伝達できない。

ただ、刹那的な状況だけを共有して楽しむ。

ほぼ、ネアンデルタール人レベルと言って過言ではない。

だから、彼らの話は長い。

「みじかっ!」と驚かれるほどの単語の羅列なのに、否、それゆえに疲れないから寝る時間以外は話続けている。

一日中、スマホでインスタとLINEとYouTubeを観ている小学生か中学生のようなモノだ。

テレビに出てくる軽薄ギャルも異常な短縮語を多く使う。
例えば、了解は「り」だ。
これで話が通じる。

絶滅したアマゾンの部族の一員のようだ。

その一方で、経験値も時間の流れに関係してくる。

経験値が多いと、要不要が判定できるので、じっくりと腰を落ち着けて問題に取り組むことができる。

さらに達人になると、ターゲットの問題に没頭して時間の感覚が吹っ飛んでゆく。

これは、好きなことに没頭する若い人でも経験できることだけど、要は、目に映る多様な現象に惑わされないということでもある。

しかし、経験値の少ない若い人は、多様な現象に目移りしてしまい、集中できなくなる。

話が短い、早いということは、結局は「集中できない愚物」ということにもなる。

何を言いたいのかお分かりですね。

長話をする人は脳が委縮している可能性が高いが、単語と画像だけで会話する人たちや簡潔で即物的な会話しかできないは、脳が未発達ということになる。

劣化脳VS未熟脳。

怪獣バトルに似てなくもない。

これは噛み合わない。
どちらも絶滅危惧種みたいなものだから。

「じぃじの話、長いんだけど~」たって、「未来のあんただと思って我慢しな」と言うほかはない。

どうせ、年を経るとグダグダおババになっちまうのだから。

脳は使わないとダメなんだよ。
脳は楽するのが得意な省エネハードメカなんだからね。

しっかりメンテナンスしておかないと、使い物にならなくなるんですよ。

ま、今回は授業料はタダにしておくけど、もう少し鍛えてから私の本をお金を出して購入して、じっくり、腰を据えて読んでくださいましね。

ほっほっほ。

小銭を稼ぐのも、楽じゃねー。