トランプ大統領とその仲間たちに捧げる。
「傍観しているだけだと、破壊的勢力は勢いをつけていく。このアメリカの不正は、ここでやめさせる。それは、人類の敵を打ち負かすための献身であり、人々の目覚めとなる(新しく生まれ変わる国)。アメリカ合衆国は史上になかった全く新しい政権となる。アーメン」
トランプ大統領の投稿は「黙示録の記述」と酷似している。
「おまえの商人たちは地上で勢力を張る者となり、すべての国民はおまえのまじないでだまされた。おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である」
「わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。わたしが来る時まで、自分の持っているものを堅く保っていなさい。勝利を得る者、わたしのわざを最後まで持ち続ける者には、諸国民を支配する権威を授ける」
新しい天と地が誕生する新世紀の時代が訪れた。
私は創世記と黙示録を完全解読しているが、解読は誰も理解できなった。しかし、今、ようやくその時が訪れたのかもしれない。
私は私のサイトで、黙示録の核を形成する幾つかの「黙示録解読文」を掲載したいと思う。全世界の人々をあざむくDS(ディープステート)たちよ、震えて永遠の眠りにつく時がきた。天の使徒トランプ大統領と仲間たちに栄光あれ。
ヨハネの黙示録「第四の封印」
原文は聖書でお読みください。
全て意訳でスピーディに展開してゆきます。
玉座に座っておられる方の右の手に、巻物があった。内側(奥義の意味)にも外側(顕義の意味)にも字が書いてあって、七つの封印で封じられていた。
第一の封印を解いた時、白い馬が出てきた。第二の封印を解いた時、赤い馬が出てきた。第三の封印を解いた時、黒い馬が出てきた。
「小羊が第四の封印を解いた時、第四の生き物が「きたれ」と言う声を、わたしは聞いた。 そこで見ていると、見よ、青白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者の名は「死」と言い、それに陰府(よみ:地獄)が従っていた。彼らには、地の四分の一を支配する権威、および、剣(つるぎ)と、飢饉と、死をもって、更に地上の野獣で人を殺す権威とが、与えられた」(黙示録6の7)
これがこの章のタイトル画になっています。
描いているのはフランスの鬼才:ギュスターヴ・ドレ。
これら四匹の馬に乗った四騎士は「聖なる騎士」と呼ばれている。
嘘です。
間違った解読です。
世間で耳目にする黙示録の解読文は全て嘘です。
第一に、七つの封印で閉じられた巻物は「滅びるべき者を定めた書物」だからです。
第二に、四人の騎士と一般に解釈されているが、正しくは「馬に乗る者」です。「者」と告げられているように、馬に乗る者は「騎士と呼ばれるに値する聖なる存在」ではありません。
第三に、馬は三匹しかいません。
「4=3」
この「あえて仕掛けられた奇妙な方程式」が解けないと黙示録の解読は一歩も前に進めません。
ここでは第四の封印の解読に迫ります。
「青白い馬」の「青白い」は日陰のもやしのような弱々しさを暗示した「色」です。すなわち、「青白い馬に乗る者」とは「世の弱者」を示唆した黙示文(アポカリプス)です。
剣(つるぎ:戦争)や飢饉が起こると真っ先に「死」に直面してしまう世の弱者。その名は大衆であったり、民衆であったりする。
黙示録は彼らを擁護することなく、「お前たちには地獄が付きまとっている」と宣告しています。なぜなら、黙示録は「民衆の享楽性」を否定しているからです。
「地上の野獣で人を殺す権威」には、二つの預言が内在されています。
一つは円形闘技場(代表的な建造物はコロッセオ、今のコロシアムの原語)で行われた剣闘士たちの戦いや剣闘士と野獣の死闘を指しています。
民衆に「人を殺す権威が与えられた」とは、彼らが負けた剣闘士に死を宣告する権威が与えられていたからです。
ジャン=レオン・ジェローム画。
民衆が親指を指し降ろして負けた剣闘士を殺すように命じている絵画。
もう一つは、円形闘技場で野獣によって虐殺されたキリスト信徒たちの残酷な現実(黙示録の時点では預言)です。
円形闘技場に集まった民衆は、野獣たちに追われ、泣き叫びながら逃げ惑い、食い殺されていった女性や子供たちの姿を指さしては笑い転げていた。
何時の時代、何処の国でも、民衆というものは常に「愚かで残虐な存在」です。
それゆえ、この時代に元老院の最高職である執政官を務めたキャリアを持つ歴史家タキトゥスは、「民衆の言動など歴史として記すに値しない」として、その著作『年代記』には庶民の生活などは一切、記さなかった。
庶民、民衆、大衆と呼ばれる人たちは、虫の良いことを考える人たちであることが多い。
聖書を読み、教会で賛美歌を歌おうが、仏典を読み、寺院に参拝しようが、願っていることは、ほぼ全て「自身の安全と繁栄」ですからね、天がそのような虫の良い願いに耳を傾けると思いますか?
「天はあなたの願いをお聞きですよ」などと言っているのは教会や寺院のお金稼ぎのためですからね。
そもそも、イエスはこう言っています。(私の意訳です。正しいですが、意訳であることはご理解ください)。
「私は救世主ではない。私が来たのは、この世に平和をもたらすためではない。私が来て、神の言葉を伝えた目的は、あなた方に戦いを強いるためです。あなた方は正しい道を見い出して戦わねばならない。戦いを通して魂を錬磨させなければならない。そのために私はこの世に降臨した。(正しくは、そのような任務を携えてこの世に降臨した)」
そして、この戦いに際してイエスは無名で学がなく、或いは最底辺の仕事に従事せざるを得ない人たちを使徒に選んだ。この手法は織田信長も採択しています。
その理由は、「無名で最底辺の者は失うものがないから命がけで戦う」からです。
だから、信長の五大将の三人は出自不明の羽柴秀吉(甲賀の忍者:苗字さえ持たない山の民)、滝川一益(中伊勢の忍者:出自不明の山の民)、明智光秀(故郷である美濃を追われた下級武士の息子:身分は最底辺の一人足軽)です。
譜代の重臣・柴田勝家(近畿の圏外を任された)、生え抜きの家来・丹羽長秀(有能な武将だったけど唯一軍団権を与えられなかった)は、彼らより低い地位に甘んじていた。
イエスも信長も人選は特異で、かつ徹底していた。
ヨハネの黙示録「悪魔とサタン:竜と蛇」
「また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い竜がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた」「さて、天では戦いが起った。ミカエルとその使いたちとが、竜と戦ったのである。竜もその使たちも応戦したが、 勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった」
「この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経た蛇は、地に投げ落され、その使いたちも、もろともに投げ落された」
「竜は、自分が地上に投げ落されたと知ると、男の子を産んだ女の後を追った。 しかし、女は自分の場所である荒野に飛んで行くために、大きな鷲の二つの翼を与えられた。そしてそこで蛇からのがれて、一年、二年、また、半年の間、養われることになっていた」
「蛇は女の後に水を川のように、口から吐き出して、女をおし流そうとした。 しかし、地は女を助け、口を開けて、竜が口から吐き出した川を飲みほした」
「竜は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った」
これは黙示録12:3から12:17までの中の抜粋文です。
なぜ、抜粋したのかといえば、「悪魔とサタン、蛇と竜の錯綜の謎」に焦点を絞って解き明かすためです。この謎だけに焦点を絞った解読を示すためです。
黙示録第12章におけるその他の「黙示文」を簡単に解説すると、「赤い竜」の「赤」は「血の色」を示唆しているという単純な説もありますが、「赤」が絡むのは第二の封印に示された「赤い馬に乗る者」でなければなりません。
「赤い馬」であればこそ、「七つの頭と十の角」が意味を持ってきます。赤は血の色?何と単純で短絡な解読なのでしょうか。赤を血の色と読む人は「頭と角」の謎を解くことはできないでしょう。
頭とは何か、角とは何か。
ここでは、その謎を解くヒントを提示するにとどめます。
頭には「冠」が与えられているが、角には与えられていない。ここから、「頭の方が角より序列の高い上位者である」と読むことができます。
「巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経た蛇」
ここが謎の核の一つを形成しています。
竜を龍と翻訳している聖書もありますが、間違いです。
龍は東洋の龍であり、西洋の竜とは一線を画するものだからです。
龍は、新訳般若心経をもたらした玄奘三蔵が著した『大唐西域記』を題材にして編まれた小説『西遊記』の中に現れる「姿を変えた白馬」です。
三蔵法師が暗示しているのは「人間」。
その人間に「孫悟空・猪八戒・沙悟浄・白馬」の4人の妖怪たちが付き従います。
白馬(龍)が示唆するのは魚類、沙悟浄(河童)は爬虫類、猪八戒(猪)は哺乳類。そして、孫悟空は、「スフィンクスと同じような猿と人間のキメラ(合体物)」、すなわち「人類」を示唆しています。
葛飾北斎画
西遊記が示しているのは、「魚類→爬虫類→哺乳類→人類→人間という進化の系統樹」です。
キーワードは「進化」です。
蛇と竜も「進化系」です。
竜は蛇よりも大きい。
この序列は「頭と角」に似ています。
蛇は、旧約聖書(ユダヤ教)の巻頭に配されている奥義書『創世記』に現れる、「アダムとエバを騙したあの蛇」です。
ミケランジェロ画。
創世記の記述はこうです。
「さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、蛇が最も狡猾であった。蛇は女に言った、『園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか』 」
「女は蛇に言った、『わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、 ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました』」
「蛇は女に言った、(あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。 それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです』」
「女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた」
「すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた」(創世記3:1~3:7)。
なぜ、蛇なのか。
蛇に秘められた第一の意義は「有性生殖の始まり」です。第二の意義は、原初の宗教である月信仰(六芒星)が絡む話です。
イスラエルの国旗に刻まれた六芒星。
日本も原初の宗教は月信仰でした。
縄文土器の縄目も蛇を示唆しています。
出雲大社(いずもおおやしろ)の注連縄(しめなわ)も蛇を形どったものです。
精力絶倫の蛇は洋の東西を問わず、「生殖神の化身」とみなされてきたわけです。
ウロボロス。
古代ギリシア語で「尾を飲み込む(蛇)」を意味する言葉です。
蛇が延々と脱皮を繰り返している姿とも言われており、その意味するところは「不老不死」です。現在の不老不死生物と言われる「ベニクラゲ」にも通じる話です。
ウロボロスのイメージは、アステカ、古代中国、ネイティブ・アメリカンなどの文化にも見受けられているように、全世界の古代宗教は「生殖信仰」から始まったと言っても過言ではないでしょう。
黙示録にこのように記されています。
「蛇は女の後に水を川のように、口から吐き出して、女をおし流そうとした。 しかし、地は女を助け、口を開けて、竜が口から吐き出した川を飲みほした」
一見すると誤植のように見えます。
実際、英語圏では「蛇も竜」も共に「Dragon」と表記している聖書も実在します。
このように、自分が理解できないからと言って黙示録を改竄(かいざん)すると重いペナルティが課せられます。
蛇(Serpent)は口から水を吐き出して女を押し流そうとした。
地は女を助け、竜(Dragon)が吐き出した水を飲みほした。
文章としては相当におかしな文章です。
しかし、これは謎を内包した黙示文(アポカリプス)です。文字通りに読んでしまうと罠に嵌められてしまうアポカリプスなのです。
この記述は、現実に起こった「歴史」に言及しています。黙示録が書かれた時点では「未来に起きる現実としての預言」となります。
蛇は六芒星、その示唆するところは二つです。
一つに旧約聖書(創世記)。
一つにイスラエル(ユダヤ王国)です。
竜は蛇(ユダヤ王国)より巨大な「赤い馬に乗る者たち」を擁する国家です。それは旧約聖書が進化した形でもあります。このように書けば、もうお分かりですね。
蛇はユダヤ王国。
竜はユダヤ王国を属国したローマ帝国。
ちなみに、旧約聖書(ユダヤ教)と新約聖書(キリスト教)の関係は、黙示録において次のように告げられています。
「長老の一人がわたし(注:黙示録の著者・使徒ヨハネ)に言った、『泣くな。見よ、ユダ族の獅子(注:イエス)、ダビデのひこばえ(注:樹木の切り株から生えてくる若芽)が、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる』」(黙示録5:5)。
意味するところは、「滅亡したユダヤ王国(切り倒された巨木:旧約聖書とユダヤ教)の切り株からひこばえ(新約聖書:キリスト教)が芽生える」となります。
これも進化です。
それゆえ、黙示録では新約聖書を「誰も聞いたことのない新しい歌」にたとえています。
「巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経た蛇」
竜(黙示録:ローマ帝国)は蛇(創世記:ユダヤ王国)より巨大。では、悪魔とサタンとは何か、何をたとえたアポカリプスなのでしょうか。
悪魔はアダムとエバ。
すなわち、塵から生まれた肉体。
肉体を動かす衝動が本能(爬虫類脳:蛇)と感情(哺乳類脳:果実を食する前のアダムとエバ)。
原始的生命体としてのアダムとエバは「智慧の木の実」を食べた。すなわち、本能と感情を制御するための新哺乳類脳を得た。そして、人類へと進化した。
しかし、人類といえども、新哺乳類脳である大脳新皮質(前頭前野)を活用しないと、できないと本能と感情に蹂躙(じゅうりん)された獣に堕する。
この獣(本能と感情)が「悪魔」の正体です。
では、サタンとは何か。
これは実在する四次元体(霊体)です。
彼こそが魔界(地獄界)の頂点に君臨する超巨大な霊魂です。
注意するべきは、漫画や小説に描かれているような「緩やかな存在」ではないということです。サタンに出逢ったら、ものの数秒で肉体諸共魂魄まで消しさられます。
肉体は塵と化して三次元界宇宙を、魂魄も塵と化して四次元界宇宙を永遠に彷徨うはめになります。全ての終わりが到来します。
四次元界では、常に、「神と天界」と「サタンと魔界」の死闘が繰り広げられ、三次元界では「神の使徒たち」と「魔界の霊に憑依された人類」との戦いが繰り広げられ続けている。
ゆえに、ミルトンは『失楽園』という小説(実話とは程遠い小説)で「戦いの時はおそろしく長く、敵の数はあまりに多い」と綴らされています。
ギュスターヴ・ドレ画
人類世界は進化し続ける。
新しい世界(天と地)は常に塗り替えられる。
その都度、決して負けられない激しい戦いが展開される。
三次元世界とは、そのような、平和ではなく剣(二者択一の両刃の剣)を迫られ続ける「戦いのために創られた世界」であるともいえます。