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結晶性知能の活用法

流動性知能の勉強法は、木を集めて森を作るような作業になる。

帰納法(きのうほう)的な思考方法ともいえるが、このような無思考の記憶法は30歳を過ぎると厳しくなる。だから、参考書にマーカーを入れたり、辞典を丸暗記したりする方法ではついてゆけなくなる。

(A)結晶性学習法

1冊の教科書か参考書があるとする。まず、全体像を把握する。そのためには、5回、6回、時によれば、7回、8回、記憶にこだわらずに速読する。そして、全体像がつかめたら、大別、中別、小別に分ける。

どのような難解な書籍や仕事でも分解すればいい。

分類すると簡単な話になることが多い。
そして、それぞれの分類に応じてキーワードをピックアップする。

この系列に沿う知識を覚える。

キーワードが分かれば、次々と連想ゲームのように、あるいは芋づる式に用語が浮かんでくればOKで、系列から外れた「例外事項」を脚注化すればテストへの対応は完了する。例外項目からの出題が多いからである。

(B)結晶性ビジネス対応

これも、学習法と似ている。
まず、その業界の儲かりパターンを学習する。

「何々が儲かるから。これが爆発的にヒットしているからこれをやろう」という発想は流動性知能的なので、失敗する確率が高くなる。

たとえば、白い鯛焼きとかタピオカなどの人気商品に追随する方法がこれである。

「二番手商法」「先進のテクを模倣する方法」が成功する分野とそうでない分野を見極めていないと失敗する。

基本的に、イージーにコピーできる案件は、すぐにレッドオーシャン化して失敗につながってしまう。

その分野には、その分野にふさわしいキーワードがある。

衣料品業界では、「高品質・高機能」が基本条件になる。

なので、流行のファッションやカラーを追うのは日常業務であったとしても、より重要なキーワードは「素材」「機能」「生産」になる。この視点が欠落していると流行から外れたときに大きな痛手を負う。

食品業界では、「美味しい、安い、豪華」より「コスパ」が重要になる。

キャッシュレス化を徹底して現金管理の労力コストを減らす、品目を減らす、自動化する、油管理の調理法、調理の簡便化、AIによる数値管理、女性の好みに特化するなどなどが基本的キーワードで、これに「新しい感覚と食材」などを加味する。

要するに、勝つということは、「他の競合会社にみられない、優秀な武器を幾つ作れるか」にかかっている。

とはいえ、これは特別な方法ではない。
戦国時代に、既に、織田信長が実践していた手法だ。

織田信長が短期間で天下を制圧できたのは、「長槍、鉄砲、土木工事、調略」という旧弊型の武士では持ち合わせていない武器を揃えたからだ。鉄砲に関しても、製造・修理と硝石・硫黄のルート三つをすべておさえていた。

さらにいえば、信長は「鉄砲、土木工事、調略」の三角形に照準を絞った攻撃方法を主力とした。

時間とお金はかかるが、補充が容易ではない人的損害が抑えられる。

基本トライアングルから派生する戦略を芋づる式に引き出す。
結晶性学習法の項で記した戦略である。

これらを実践できたのが、氏素性の明らかでない羽柴秀吉、滝川一益、九鬼嘉隆、蜂須賀正勝、藤堂高虎、同盟者だったけど松永久秀などの卑賎の出自の者たち、よりはっきりいえば、地に根を張った忍者たちだった。

経験則で成長した人たちともいえる。

そして、譜代の家臣たちは、彼らの風下に立たざるを得なくなった。30年も家老を務めた佐久間信盛などは追放されてしまった。つまり、「古い者」たちは役立たずとして軽視されてしまったのが、「織田信長だけに吹いていた下克上という名の戦国時代」だった。

「古いモノを切れ!」
これが勝利の基本方程式になる。

だから、IQ知能とその崇拝者も切ってしかるべきである。
しかし、これを果断、非情と反発する人たちが多数現れる。

ここが単一民族の弱点なのだけど、一理あることも確かで、「切れ!」といって、切って業績を伸ばした経営者は、ときとして、パワハラ大魔王になりがちなのも事実だ。

いずれにしても、日本人は同調圧力に弱い。
平均が好きなのだ。
だから、みんなと同じことしかやりたがらない。

それで安心感を覚える虚弱型が多い。
その代表的事例の一つが公務員志望型にる。
公より私を優先させるパラサイト思考型ともいえる。

これらはすべて古代型である。
あるいは田舎型の気質である。
それが今なお根強く息づいている。

だからIQ神話にころりとだまされたりする。
肩書にこだわったりする。
東大式頭脳を賛美したりする。

こうした物の見方は流動性知能(データ管理)では得られない。
そこは体験に基づく結晶性知能を活かさないと得られない。

ベストは全体から素早く本質を見抜くことだ。
しかし、これには結晶性を超えた能力が求められる。
頭脳などは、所詮はハード機能にすぎないからである。