堀江貴文氏は、「お金がないから起業できない」は本当によく聞く言い訳だが、それはお金の本質を理解できていないからだと言う。
「お金は、信用を数値に落とし込んだツールであって、大切なのは信用であってお金ではない」とも言う。
「お金がないから起業できない」は愚かな発想だ。
たとえお金があって起業し、それで成功したとしても、事業を継続してゆくと、必ず、お金はショートするので、誰から借りる必要がでてくる。そのときに、「黒字だけどお金がないから事業は継続できない」と言うだろうか。
「10年間勤めているが給料が15万のままだ。会社が悪い。社会が悪い」という投稿に対して、堀江氏は、「君が悪い。悪いと分かっている職場に勤め続ける君が悪いのであって、社会が悪いわけではない」と回答していた。
正常な人なら、この投稿者の「自分は動かないけど、良い目をみたい」と主張する虫の良さに驚くだろうけど、実は、こうした思考の持ち主は、田舎には掃いて捨てるほど転がっている。
なぜそうなってしまうのかといえば、田舎は「均一的安楽さを享受することを第一義に考える世界」だからである。
田舎は古代的なのだ。
そして、馴れ合いは古代人の習性である。
確かに、「お金がないから」は愚かな発想だ。
しかし、問題するのは、そのような基本的な話ではない。
堀江貴文氏は、「時間がないからできないは、現状維持を選んでいるだけ」だとも言う。
ここがテーマと絡んでくる。
「何かをはじめるなら、何かを捨てなければいけない」ということは、当たり前のことだと知っておくことだ。
「朝から晩まで働いて、睡眠時間もろくにとれていない!」はまやかしだとも言う。
彼らは、不満より、欲望より、「現状維持」を望んでいるだけなのだ。
その方が楽だから。
その「楽」を維持したいために愚痴や文句を語って、「痛みや辛さを避けるための正当性」を掲げて自分を慰めているだけなのだ。
これは確かなことだ。
しかし、このような「分かり切った精神論」はいらない。
分かっていても動けないからだ。
なので、「動ける方法」を教えてあげないと何の役にも立たない。
しかし、その一方で、分かり切った役立たずの論説でも儲かるオンラインサロンが流行ったりするものだから、やめられない。
この種の「役立たずだけどキラキラした話(つまり、普通ではない特殊環境の話)」に飛びついてくる人たちは常に一定数存在しているからだ。
彼らは、興奮しながら、「オレはビッグになる。起業して稼ぐ。億万、否、ビリオネアになってやる、なりたい」などと叫び出す。
これは世界共通のだまし絵図でもある。
動けなかったから人生を浪費して今の困窮に至っている。
頑張らなかったから良い大学に行けなかった。
努力できなかったから貧乏になった。
全部正しい話だ。
正しい話だけど分かり切った話なので、「何を偉そうに語っているのだ」となってしまう。
偉そうに言うのであれば、動けるような方法を教えろ。
頑張れるようなやり方を教えろ。
努力できてリッチになれるように指導してくれ。
こうなってしまう。
しかも、「ただし」付きになる。
ただし、精神論はやめてくれ。
誰でも楽にできる方法を教えてくれ。
一流大学に行った人たちも金持ちになった人たちも、「楽にできる方法」を知っていたからそうなったのだろう。
こういう風に考えねばならない。
誰も嫌な事、やりたくない事を克服して、血と汗と涙を流して成功したわけではない。
血と汗と涙などはプロセスにすぎない。
やり始めは、決して血と汗と涙ではなかったはずだ。
堀江氏だって、死ぬ思いでライブドアを立ち上げたわけではないはずだ。
ふと思いついて、やってみたらライブドアになっていただけだろう。
アップルだって、マイクロソフトだって、やり始めた動機は「死ぬほど辛いもの」ではなかったはずだ。
気がついたら、そうなっていただけだろう。
誰だって、基本は怠け者なのだ。
これが生物仕様なのだから仕方がない。
楽な道と辛い道があって、どの道を通っても同じゴールに辿り着けるのであれば、誰だって楽な道を選択するはずだ。
ただ、成功している人たちは、なぜか「楽な道」を、換言すれば、「別に苦しいとは思わないけど正解に至った道」を選択していた。それだけの話にすぎない。
なぜ、そうと断言できるのか。
それは、一度成功して終わった人が二度と成功した試しがないからだ。
雇われ社長は別ですよ。
既に、基盤ができているところでやるから。
ここは起業の話です。
堀江氏もそうだ。
世間に自分をさらけださねばならない、ウザいはずの虚業的な成功はおさめていても、ライブドアのような新しい事業を立ち上げて展開しているわけではない。
不死鳥のように蘇って、再度事業を立ち上げて成功している人もいるかもしれないが、それはレアなケースで、ほとんどは、かつての分野での立ち上げになっている。
新しい分野で成功することは至難のワザといえる。
古今東西を問わず、「絶対に融資してはいけない人」という鉄則の第一に掲げられている人は、「かつての成功者」と言われている。
つまり、「二度目はない」。
ほぼほぼだけど全員が一発屋なのだ。
この現実が示すところは何なのか。
それは、誰も苦労して成功の道に入ったわけではないということだ。
ただし、プロセスは別だ。
プロセスでは成功者の多くは大変な苦悩を背負いながら、不屈の闘志で克服している。
これは事実だ。
しかし、あえて細く狭い門を叩いて入ってきているわけではない。
お分かりだろうか。
苦難に満ちた成功への道だって、一度、入ってしまえば慣れてしまう。
惰性のままに頑張って突き進める。
大切なのは、「門」なのだ。
細く狭く窮屈な門を、どのようにして苦痛なく入ってゆけたのか。
ここを考えることが重要になる。
自分に絶望してビルの屋上に上り、そこから飛び込んで死んでしまおうとまで悩んでいた青年が、ふと目にしたパルクールという街を障害物に見立てて飛んだり、登ったり、走ったりしている光景を見てのめり込み、そのプロになったという実話があるけど、そのようなモノだ。
誰もが尻ごみするような危険なエクストリームスポーツであるにもかかわらず、その危険性を意識せずに、ふとその世界に入ってゆく。
そのような偶然を必然に変える方法がある。
そこを知らないと、誰だって、いつまで経っても動けない。
その方法を書く前に2つだけ脳の話をしてみたい。
考えたら負けのIQ知能。IQ知能やカメラアイは生物幼児型専用の知能。成体になれば、脳は結晶性知能で創造力を鍛えねばならない。記事詳細。