NHK大河ドラマ『麒麟がくる』はダサすぎる

大河ドラマ『麒麟がくる』は珍しいほどに不愉快なドラマ

NHK大河ドラマの視聴率が低下している。

30代の歴史好き知人も、「史実と違いすぎる」と憤慨していた。

大河ドラマは、歴史物ではなく、歴史を題材にしたドラマなので、「あれはドラマ、作り物だよ」と言いたくなるけど、そうは言わせないほどの不快感と違和感を覚えてしまう。

不人気の原因を「女性層に共感を与える女性(女優)がいないこと」に見出しているリサーチもある。

私は全編を観たわけではない。初回、二回、三回の段階で、既に、録画をスキップさせているからでもある。

史実との乖離が甚だしい漫画以下のドラマ

史実なら史実に、ドラマならドラマに特化すればいいものを、史実と虚構を錯綜させる展開に持ち込んでしまった。そのように感じられる。

とりわけ、違和感満載の衣装を、「時代考証に基づいた」と史実仕立てを強調しながら、筋書きは、著しく史実と異なる甚だしい矛盾が、不快の原点になっている。

そもそも、明智光秀が土岐氏に仕えたことはあるのか。
答えは、「ない!」である。
彼の父は土岐氏の家臣だったけど、下級武士だった。

光秀は土岐氏の美濃ではなく、近江で生まれた。

今は、そのような説が濃厚になりつつある。
光秀自身と土岐氏との関係はなかったとみなしたい。

この大前提を覆している時点で、完全に創作ドラマなので、服装を当時のものに似せたとか、当時の戦い方を忠実に描いてみたとか言っているようでは、話にならない。

あまりにも嘘くさい!

勘ぐれば、NHKの正体を公にするため企画かと思うけど、そういつことはないでしょう。

さて、光秀が武芸に秀でているような描かれた方も不快だ。

光秀が武芸に秀でていたはずがない。

彼が学んでいたのは医術だからです。
しかも、町医者。
それで糊口をしのいでいた。

それなのに、NHKの光秀は、やたらと剣術が達者だ。
これも大前提を覆している。
だから、心が落ち着かず、観ておられない。

一応、歴史仕立てにしているのだから、最低限、大前提を守った脚本にしないと、「ラノベとB級漫画の合体物という創作オバケか」と思ってしまう。

知人が憤慨しているのも、こうした歴史物を描くにあたっての掟破りを感じたからではないだろうか。

医術は忍者の技法の一つである。

「光秀が鉄砲を使えた」
「光秀は大力の持ち主だった」

このような説は『明智軍記』にしか記されておらず、信憑性は極めて低いと言わざるを得ない。

ただし、光秀は冷徹で貪欲だった。

冷徹で貪欲でなければ、信長に重宝されなかっただろう。

光秀には才知があった。

医術を学んでいたし、フロイスが、「築城のことに造詣が深い」と記しているからには、数字にも強かっただろう。

つまり、光秀は忍者としての資質を持っていたということになる。

しかも、美男子である。

そのことは、肖像画でも分かるが、彼の血を継いだであろう長女のお玉(細川ガラシャ)の美貌にまつわるエピソードによっても証される。

そのような設定で『麒麟がくる』を作っていれば、光秀の前半生は不透明なのだから、虚構を以て史実にスッと入っていけたと思われる。

猥褻芸人たちを出演させたキャスティング能力の欠如

虚構の人物を二人の芸人に演じさせた。

「史実にはない医者と忍者らしき人物」を介入させて、何じゃこれは的な展開に拍車をかけてしまった。

しかも、この二人の芸人は、一人は大御所だけど、共に、テレビで露骨なセクハラをやっていた、ボケている感の強い下品な連中なのだから、これはこれは、このキャスティングはと、少なくとも、私は呆れかえり、これだけで観る気が失せた。

ソープ好き芸人、岡村隆史(49)の呆れた放言

「コロナ明けたらなかなかの可愛い人が、短期間ですけれども美人さんがお嬢やります。なぜかと言えば、短時間でお金を稼がないと苦しいですから。3ヵ月の間、集中的に可愛い子がそういうところでパッと働きます。パッとやめます。それなりの生活に戻ったら」

「この美人たちを狙っている」と公言する、背筋が寒くなるようなメンタリティーの持ち主が岡村隆史なのです。(引用元:女性自身)

いわんこっちゃない!

岡村隆史氏の記事は追記です。
初めから言っていたこと。
だから、「いわんこっちゃない!」となってしまう。

薬物中毒患者として、その筋では知れ渡っていたはずの沢尻エリカ氏を起用したり、猥褻メンタリティーの岡村隆史氏を起用したり、NHKのキャスティング陣の無能さは、どうしたことなのか。

少なくとも、TVに映っていながら、平気でセクハラをするような芸人は、素ではもっと猥褻なことを平気でやっていると考えておかねばならない。

とはいえ、もはや日本人が運営する放送局でないことが明らかになりつつあるNHKですからね、「類は類を呼ぶ」の法則が発動しただけなのかもしれませんが。

仮に、光秀を肖像画に描かれているような「知的だけど冷酷」的な忍者的イメージで脚本を作っていれば、足利義昭、斎藤道三、織田信長との絡みでも面白いものが描けたはずなのにと思わざるを得ない。

ここに松永久秀と柳生一族を絡ませることも可能となる。

久秀は道三より、かなりワイルドな天才であるし、果心居士との逸話もあるので、忍者光秀を面白く描けたかもしれない。

光秀自体の女性編歴は存在しないので、忍者設定にすれば、帰蝶や吉乃、お市などの著名で艶やかな女性陣を絡ませて、膨らませれたかもしれない。

しかし、現実は道化役の医者に付きそうあか抜けない女性や、小粒な帰蝶しかでて来ないのだから、これでは男性陣はもとより、女性たちも感情移入がしづらいのではないかと思われる。

いろいろ戦略ミスが鼻について、大好きな時代物だけど、もう観ることはないだろう。

あまりにも、チンプンカンプンだ。
これでいいとね。

明智光秀 年英・画

「心しらぬ人は何とも言はばいへ 身をも惜まじ名をも惜まじ」
という光秀の辞世の句とされるものが記されている。